[Report]TRONイネーブルウェアシンポジウム35th
ロボット技術×次世代光ネットワークで障碍者を支援する
2022年11月26日(土)13:30〜16:30
INIADホール(東洋大学 赤羽台キャンパス)/オンライン 同時開催
- 基調講演
坂村 健(INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長、TRONイネーブルウェア研究会会長) - 講演
松田 和香(国土交通省 総合政策局総務課 政策企画官(併)政策統括官付)
青野 裕司(NTT人間情報研究所 サイバネティックス研究プロジェクト プロジェクト・マネージャ 主席研究員)
池田 円(日本電信電話株式会社(NTT)総務部門 ダイバーシティ推進室 室長)
坂村健教授が会長を務める「TRONイネーブルウェア研究会」では、1987年以来、コンピュータ技術を使って障碍者を助けることをテーマとした「TRONイネーブルウェアシンポジウム(TEPS)」を毎年開催し、障碍者とコンピュータ技術との関わりの議論や制度設計に対する提言などを行ってきた。
35回目の開催となった今回のTEPSでは「ロボット技術×次世代光ネットワークで障碍者を支援する」をテーマとした講演とパネルセッションが行われた。講演では、国土交通省が実施した自動走行ロボットの実証実験、IOWN(アイオン)(Innovative Optical and Wireless Network)を応用したロボット遠隔操作の技術、障碍者雇用の一環として障碍者が遠隔で操作する分身ロボットの導入など、障碍者を助ける取り組みが紹介された。パネルセッションでは、ロボットやネットワークの技術、法制度、企業での障碍者支援の体制など幅広いテーマが議論された。
基調講演
ロボット×ネットワークで可能になる職場
坂村 健
歩行空間ネットワークデータの自動走行ロボットでの利用
坂村教授は冒頭で、TEPSの開催に先立って「歩行空間ネットワークデータを用いた自動走行ロボットの走行実証」のプレス発表を行ったことを紹介(「ロボットと人間が共生するバリアフリーな社会――歩行空間ネットワークデータを用いた自動走行ロボットの走行実証」)。国土交通省が推進するバリアフリー・ナビプロジェクトは、歩行空間にある段差や勾配などのバリアを表す歩行空間ネットワークデータの整備と普及促進に向けた取り組みである(注1)。高齢者や障碍者などの移動困難者を主な対象に、誰もが街中の移動を円滑に行えるようにすることを目的としている。歩行者移動支援には、自分がどこにいるかを示す「高精度な測位」と、段差や坂などの情報を含む「高精度なマップ」が欠かせない。国土交通省では、歩行者移動支援のために高性能な地図を作るためのガイドライン「歩行空間ネットワークデータ整備仕様」を作成し、自治体への普及・啓蒙を行っている(注2)。
歩行空間ネットワークデータ整備の目的はユニバーサルデザインだ。「障碍者を助ける」ことに異論を唱える人はいないが、本当に助けようとすれば資金が必要になる。しかし、国は限られた予算をやりくりする中で、また企業は株主の利益だけでなくSDGsなどへの取り組みが求められる中で、「障碍者を助ける」ためだけに優先的に資金を提供することは難しいという事情がある。そうした課題を解決する一つの解がユニバーサルデザインだ。「障碍者にとって役立つデザインは、ほかのことにも役立つデザインである」という考えに基づけば、関係者を増やして連携して活動していくことは難しくないだろう。今回記者発表した実証は、車椅子の人が通るために必要な地図は、自動走行ロボットが通るためにも必要な地図ではないのか、という考えで新たにロボット産業の人も巻き込んで行っているプロジェクトなのだ。
もう一つ重要なことは、歩行者移動支援データプラットフォームによるロボットとIoT設備とのAPI連携である(図1)。たとえばロボットが都市を移動するためには、バリアの回避だけでなく、エレベーターやドアなどの既存の設備との連携動作が必要になる。そこで、さまざまな設備をIoT化してAPI連携させることで、ロボットがたとえば信号を発信してエレベーターの状態を知ったり、呼んだりすることが可能になる。坂村教授は「ロボットがエレベーターを呼べるということは、同じしくみを使って人間がスマートフォンでエレベーターを呼べるということです」と、ユニバーサルデザインの意義をわかりやすく説明する。コロナ禍で公共の場でのスイッチやボタンを触りたくないと思う人が増えており、非接触でスイッチを操作できれば便利だと感じる人は多いだろう。
本実証実験では、自動走行ロボットの制御に歩行空間ネットワークデータを活用し、ロボットが移動しやすい――段差や勾配などのバリアがなく混雑していないルートを選択して移動する。坂村教授は、赤羽駅前のコンビニエンスストアで注文品を積み込んだ自動走行ロボットが、段差がない混雑エリアを回避したルートを選択し、赤信号が青になるまで待ったり、エレベーターを呼び出して乗り込んだりなどして団地に荷物を届ける模様を紹介した。
未来の情報通信プラットフォーム
IOWN(アイオン)(Innovative Optical and Wireless Network)は、光関連技術を活用した大容量・低遅延・低消費電力のネットワーク構想である。2030年を最終目標として、100倍の電力効率、125倍の伝送容量、200分の1のレイテンシ(遅延)を目指している。2023年3月に商用展開予定のIOWN1.0はネットワーク向け小型/低電力の光電融合デバイスで、電力効率は変わらず伝送容量は1.2倍程度だが、200分の1のレイテンシは達成できる見込みだ。電力効率が100倍になれば消費電力も少なくて済むので、地球環境にも優しい技術といえるだろう。
IOWN1.0の低遅延性能によって実現可能になるのがロボットを使った「遠隔手術」である(図2)(注3)。通信回線が遅いと、遠くにいればいるほど遅延が発生してリアルタイムでロボットを操作することが難しいため、ロボット手術といってもロボットを操作する医者がロボットの近くにいる必要がある。しかし、遅延が200分の1となれば1ミリ秒未満の遅延でゆらぎゼロの環境が実現するため、120km離れた場所からでもリアルタイムでロボットを操作して遠隔手術することが可能になるのだ。たとえば腕のいい名医が医者の少ない地域に1日がかりで出向く必要がなく、自分の病院から遠隔で手術できるようになるので効率的である。実用化されれば、より多くの人の命を救うことができる画期的な技術であることは間違いないだろう。さらに、複数の会場を結んで対戦するeスポーツ(図3)や、離れた場所で同時に演奏するジャズセッションなど、さまざまな応用が想定されているという。
未来の障碍者支援
坂村教授は、「こうした最先端の光やロボットの技術を使って、未来の障碍者の支援ができるのではないか、というのが今回のTEPSの最大のテーマです」と明かし、その支援は単に障碍者の移動や生活を助けるだけでなく、障碍者にも働いてもらうための支援に広げていくことが大切だと主張する。少子高齢化が進み労働人口が減少する中で障碍者にも働いてもらうことを現実とするならば、まず、ICT技術の進歩により昔はできなかったが今ならできるということが増えていることを多くの人に知ってもらう必要がある。そして障碍者の支援に対してそれを上回るリターンがある、すなわち持続可能な「投資」として障碍者支援を行うメリットがあることを理解してもらい、積極的な障碍者雇用につなげていくことは、TEPSの目的の一つでもある。
ここで坂村教授は、IOWNの普及により高画質で低遅延な次世代ネットワークが実現している未来の障碍者雇用の一例を紹介する。自動走行ロボットが公共空間を人と同じように移動するようになると、子供のいたずらから災害発生まで、さまざまな想定外のトラブルが発生するため、非常時に人間の管制官が遠隔で対処にあたるバックアップ体制が必要になる。ロボットが見ている映像をリアルタイムで監視して指示を与える管制官は、監視センターあるいはテレワークで分散監視する体制が可能になるため、肢体不自由な障碍者でもその役割を担うことができるだろう。
こうしたロボット監視という職業は移動ロボットに限らない。工場や土木工事、建築現場など物理的な「現場」の監視など、人間の判断が必要な場面がある状況において、ロボットテレワークは多くの職場に展開可能である。さらに、身体的に外出が難しくても対人スキルの高い人であれば、小売りや案内など人と接する「現場」でテレプレゼンスロボットによる接客で能力を活かすことができるだろう。
坂村教授は最後に、日本橋にある「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」(注4)を取材した山本ゆうか氏の漫画(注5)を紹介し、「ロボット技術とIOWNが実現するネットワーク技術のかけ合わせにより、今まで働くことが難しかった人が就労できる環境が大きく広がる時代になっています。それは少子高齢化が進む日本への支援にもなるのではないかと思います」と将来を展望した。
講演
歩行空間における移動支援の普及・高度化に向けたDXの推進
松田 和香
国土交通省 総合政策局総務課 政策企画官(併)政策統括官付
国土交通省の歩行者移動支援の取り組み
国土交通省では、「いつでも、どこでも、だれでも」が自由に移動できるよう、バリアフリー情報をはじめとするさまざまなデータをオープンデータ化し、民間事業者が多様なサービスを提供できる環境づくりに取り組んできた。その目的は、身体的状況、年齢、言語等を問わず、誰もが自由に活動できるユニバーサル社会の実現だ(図4)。
松田和香氏は、本施策を開始した2004年当時は、TRONプロジェクトが開発した携帯端末「ユビキタス・コミュニケーター」でICタグの情報を読み込んだり、マーカーや無線LANなどで位置を測位したりして、その場所でサーバーにアクセスして情報を取得するような実証を行っていたことを紹介した。2010年を過ぎると、スマートフォンが普及してさまざまなサービスが創出されるようになったが、その頃政府全体でオープンデータ活用への意識が高まってきていた。2014年に国土交通省は坂村教授を委員長として「ICTを活用した歩行者移動支援の普及促進検討委員会」を設立。1年近く議論を重ねたうえで、オープンデータ化の必要性や、各種データの整備促進に向けた自治体支援等、歩行者移動支援サービスの普及促進に向けた提言を公表した。その提言に基づき、データフォーマットの策定、データ整備ツールの提供、オープンデータサイト開設、自治体向けガイドラインや手引きの作成など、全国各地での実証実験や先行事業などを行った。オープンデータの先行整備として、東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて競技会場周辺の歩行空間ネットワークの整備が大規模に行われ、さまざまな用途で幅広く活用された。
さらなる情勢の変化をもたらす革新技術
データの整備には時間や費用、労力がかかり、いったんデータが整備されてもその後の更新が進まないといった課題があるが、そうした中でも、さまざまな新しい技術の発展がさらなる情勢の変化をもたらしている。その一つが自動走行ロボットの登場だ(図5)。
松田氏は「自動走行ロボットの走行にもバリアフリー情報が必要不可欠であり、本施策との親和性が非常に高い」と期待を寄せる。国内外において物流業界のドライバー不足やコロナ禍をふまえた非対面・非接触での配送ニーズが急増し、ロボット自動配送の実用化に向けた検討・社会実装が進展している。2022年1月には一般社団法人ロボットデリバリー協会が設立され、安全基準等を検討中。2023年4月には改正道路交通法が施行され、自動走行ロボットが公道の歩道を走行可能になるなど環境整備が進められている。
さらに、3次元データの整備が各分野で進んでいることも見逃せない。自動運転や測量における点群データ収集センサーの開発や普及のほか、膨大なデータの処理技術やAI解析技術の進展等、3次元データの整備・活用技術がさまざまな分野で急速に進展しているのだ。3次元データが高度化・多様化したことにより、3次元データの多用途での活用や、屋内外の地図データを重ね合わせてロボットの自動走行に活用する事例も見られる。今後、センサーや走行時のデータなどによるリアルタイムデータの活用や更新も期待できる。
測位技術自体も進展している。自動運転分野の自己位置推定技術により、高精度な経路案内が実現可能となっている。自動走行ロボットは、LiDAR(Light Detection And Ranging:光による検知と測距)を使い、地図データ作成と自己位置の推定を同時に実施する「SLAM技術」(Simultaneous Localization and Mapping)を活用できる。さらに、2023年度をめどに、高精度測位を実現する準天頂衛星が7機体制になる予定だ。また、民間企業による高速・低遅延の衛星ブロードバンドインターネット「Starlink」のサービスも開始される。
こうした新技術の進展をふまえ、国土交通省の今後の方向性としては、人や物の移動支援のさらなる普及・展開や高度化に向けた歩行空間のDXを推進し、持続可能なサービスの提供環境を実現する方向に舵を切っていくべきではないかと考えているという。
自動走行ロボットの実証実験
自動走行ロボットの実証実験は、歩行空間ネットワークデータによる経路の検索と決定、およびこれに基づく実際の運行等を実証するために行っている。実証内容としては、経路検索によるロボット運行だけではなく、エレベーターの自動制御、準天頂衛星を用いた高精度測位技術の検証、そして障害者のロボット遠隔管理業務の就労可能性の検証などを目的としている。
今回の実証では、出発地である赤羽駅前の店舗から、目的地のヌーヴェル赤羽台マンションまでどういう動きをするのかを、以下のような観点で検証した。
- 歩行者移動支援データプラットフォームにアクセスして、バリアのないルートを経路検索してルートを決定する。
- 自分の位置をGNSS(Global Navigation Satellite System:全球測位衛星システム)で把握し、遠隔監視センターからの運行管理を受けて、目的地に向かって進む。
- 途中でエレベーターの制御をして移動する。
最後に松田氏は、本プロジェクトが目指す将来のイメージについて「地方自治体がオープンデータ化を進めてデータを充実させることによって、市民や地元の企業だけでなく、物流事業者やベンチャー企業・スタートアップ企業などがオープンデータを利活用し、投資インセンティブが働くことを期待しています。そして実際に事業が実施されることで市民生活も便利になり、あるいはロボットの遠隔監視業務の雇用で障害者の方たちの就労に貢献できる。また市民生活は税収が増えて便利になる。あるいはデータが充実化されることで、さまざまなサービスが展開される、といった好循環を実現したいと考えています」と展望した。
IOWNとサイバネティックス技術で挑むQOLの向上
青野 裕司
NTT人間情報研究所 サイバネティックス研究プロジェクト プロジェクト・マネージャ 主席研究員
身体遠隔化技術による遠隔ロボット操作
「人間の脳の消費電力を約20ワットとすると、大型コンピュータは約300ワット、機械学習などに利用するスーパーコンピュータは約1.3ギガワットもの消費電力を必要とします。世界やヒトの完全なデジタルツインを実現するためにどれほどの消費電力が必要となるのかを考えると、いくら電力があっても足りなくなることは容易に想像できます」
NTT人間情報研究所で主にAIの技術を中心として人間のしくみを研究開発している青野裕司氏は、ヒトの脳の効率という視点から、IOWN構想の大容量・低遅延・低消費電力といった特徴の意義を語った。
IOWNを構成する重要なコンポーネントの一つにAll-Photonics Network(APN)がある。APNが目指していることは「光による限界突破」――すなわち光を積極的に活用していくことで、ネットワークの通信速度の向上、低遅延、低消費電力を目指している。坂村教授の講演でも触れていた、NTTが2022年11月15日に発表した遠隔手術ロボットを使った実証実験では、IOWNの技術によって、120km離れた拠点からでも同一環境を共有し、遠隔手術ロボットを操作できることが実証されたという。
こうした技術をもっと身近なものとするのが身体遠隔化技術による遠隔ロボット操作である。遠隔による医療や看護、危険を伴う重機、工事現場などの作業を、実際に人間が重機を操作するのではなく、安全なところから操作することにニーズがある。一方で、遠隔でロボット操作をするにあたり、「遅延」や「動作・認知の再現限界(情報欠落)」によって、①制御精度の低下、②認知精度の低下、③体性感覚の喪失という悪影響が発生し、作業者の持つ能力の発揮が阻害されるという課題を改善する必要がある。
青野氏は、その解決のためにAR技術を導入し、操作に必要な時間を2割短縮したという研究成果を解説した(図6)。「視覚の遅延」に対しては、ハンドARと予測制御といった二つのサポート技術を導入、「距離間隔の欠如」に対してはターゲットARで予測された作業目標とハンドARの距離を視覚的に情報提示することにより、自分の体を使った場合と同じように、目標地点を見ながらの作業が可能になったため、操作性が2倍増して、作業時間は2割軽減でき、疲労度も軽減されたという。
地域包括ケア構想と遠隔看護の必要性
青野氏は、具体的な応用例として、遠隔操作ロボットによる痰吸引処置の実現に向けた研究開発を紹介。厚生労働省は高齢化による看護師不足の深刻化に対し、患者の大半を在宅や介護施設での看護に移行する「地域包括ケア構想」を推進しているが、患者が病院から自宅や介護施設に分散してしまうため、これまで病院に集中していた看護師も分散(移動)が必要となり、看護業務の遠隔化に大きな需要が発生すると予測されている。
中でも在宅看護における痰の吸引処置は昼夜問わず数時間ごとに必要であり、介護士や家族への負担が非常に大きい。そこで、IOWNを介して遠隔操作ロボットによる痰吸引ができれば、家族の負担を大幅に軽減でき、在宅医療での患者・家族のQOL向上が実現できると考え、研究開発を進めているという(図7)。在宅介護に限らず病院内の感染症拡大防止の面でも、遠隔ロボット操作による医療的処置が実現できれば有益だろう。
青野氏は、「医療用・看護用ロボットは、命にかかわるものなので、医療機器の認定プロセスとしてシビアな検討と実証を経るべきだと思います」と少し長いスパンでのプロセスが必要だとし、さらに「2025年ぐらいのIOWNの商用展開のタイミングで医療ロボットの実証実験が進めば、IOWN構想が目指す2030年頃には普及が現実的になっているのではないか」と展望した。
企業における障がい者活躍推進と遠隔操作型分身ロボットの活用
池田 円
日本電信電話株式会社(NTT)総務部門 ダイバーシティ推進室 室長
NTTで障がい者活躍推進に取り組む池田円氏によると、NTTグループで働く障がい者の数は3,750名。障がい者雇用の法定雇用率2.3%に対してNTTグループは2.47%である。そのうち、それぞれの状態、スキル、能力に応じて障がい者に配慮した職場環境が整っている特例子会社で働いているのは4分の1程度で、障がいを持っている4分の3の社員は普通のオフィスで働いているという。
池田氏はNTTにおける障がい者活躍推進の目的として「サステナブルな社会実現への貢献」と「能力をビジネスに活かす」の2点をあげた。たとえばリモコンは自由に動けない障がい者のために作られたが、今は健常者も広く利用している。また、視覚障がい者がスマートフォンで文字入力をするためのソフトは、障がい者だけでなく健常者にも使われている。こうした事例を多く生み出すために、特例子会社の中だけでなく通常のオフィスで一緒に働き、障がい者の困りごとに対してアイデアを出していくことが重要だ。
NTTグループでは障がい者雇用の比率を高める施策として障がい者雇用ゼロ企業撲滅運動を行っている。障がい者が講師となり、車椅子体験やVRゴーグルを使った視覚障がいや聴覚障がいの体験などを行う研修を実施。これらを通して健常者の社員の障がい者理解を推進し、職場で健常者と障がい者がともに働く環境づくりに取り組んでいる。またNTTグループは、グローバルな取り組みとして障がい者の活躍推進に取り組む国際イニシアチブ「The Valuable 500」に加盟している。
分身ロボットOriHime
池田氏が分身ロボット「OriHime」と出会ったのは、2019年に大手町に期間限定でオープンした分身ロボットカフェ「DAWN」だ(図8)。接客を担当した方は大阪で長く入院生活を送っていたが、分身ロボットを使って久しぶりに働くことができたという。いろいろな人とロボットを通じて話すことで会話を楽しみ、また経済活動に加わることが生きる活力になっていると知り、社会問題を解決するためのICT活用の事例として、さっそくNTT本社受付での分身ロボットの導入を企画。2020年2月からロボットを開発するオリィ研究所とトライアルを重ね、OriHime-Dを遠隔操作して受付や会議室への案内業務を行うための調整を行った。そして、分身ロボットカフェのパイロットを複数名雇用し、シフト勤務で受付業務を行う体制を整えた。2020年10月にNTTはオリィ研究所と、リモートワールド実現に向けたビジネスの強化・技術連携による双方の事業拡大を目的として資本業務提携を締結し出資を行っている。業務提携によってドコモショップでスマートフォンの使い方を説明する講師に分身ロボットを使ったり、IOWN環境で分身ロボットを使う実証実験を行ったりしている。現在は、NTTグループの16拠点で遠隔ロボットを活用している。
ICTを活用することでリモートワークを基本とした新たな働き方が可能になった。仮想空間には障がいの有無にかかわらずスキルを活かして活躍できる場がある。池田氏は「分身ロボットを遠隔操作によって活用できる場所が増えれば増えるほど、障がいのある方や外出困難な方が活躍できる場が増えると考えて、事例を増やしているところです」と語り、遠隔操作型のロボットだけではなく、NTTが運営するVR空間での接客や案内業務にも拡大していることを紹介した。
こうした活動が評価され、一般社団法人企業アクセシビリティ・コンソーシアム(ACE)が主催する「2020 ACEアワード」において、特に優れた事例として「環境づくり部門」特別賞を受賞した。
またNTTでは障がい者活躍推進の取り組みの一環として、社外の障がい者とNTTグループの社員(障がい有無不問)を対象とした「NTTアートコンテスト」を開催し、受賞者の中からアート社員として採用するという活動を行っている。
アンコンシャスバイアス
最後に池田氏は多様性の活躍推進を阻むアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)について説明した。属性の「違い」に遭遇したときの人間の自然な反応はネガティブであるため、意識的にポジティブに捉える対応が大切だ。偏見や思い込みにとらわれず、知らないものや違うものに出会ったときにそれらを尊重して受容することで、会社や個人の意識を変えていきパフォーマンスの向上にもつなげていく。
障がいといっても一人一人それぞれ病名も配慮すべきことも異なる。それぞれの事情に応じて対応し、一人一人の能力やスキルを活かす採用や活躍推進の場を提供していくことが求められる。池田氏は、誰もが同じ状況になりうる「明日は我が身」として、事故や病気で明日から外出が困難になったとしても仕事を辞めなくて済む世界の重要性を指摘。フルリモート勤務など会社側が対応できることは積極的に行い雇用を進め、最終的には障がいの有無にかかわらず誰もが働きやすい社会を作っていくことが重要だと締めくくった。
パネルセッション
後半のパネルセッションは、インターネットと会場から寄せられた質問に3名の登壇者が回答する形で進められた。ここからは寄せられた質問と回答の一部を紹介する。
「技術だけでなく制度面も含め、障碍者の遠隔での雇用の課題は何か」という質問に対し、池田氏は「障がい者雇用のカウントの条件として、1週間に20時間以上の勤務が必要という法律があります。1日4時間は働けないけれど2~3時間なら働けるという方々のために、法定雇用の障がい者のカウントを働ける時間や障がいの重さによって変えられたら」と回答した。
坂村教授が建築現場でのロボットによる遠隔操作について話題を振ると、青野氏は「高層ビルのクレーンは登るのも降りるのも一苦労なので乗ったら乗りっぱなし。さらに重機の中からは目視できる範囲が狭くてコックピットのようにカメラからの映像をディスプレイで確認しながら作業を行っていると聞いています。低遅延のネットワークとARによるサポート技術があれば、遠隔での操作の実現度は高いと思っています」と回答。松田氏は地方の冬季の除雪現場の高齢化と人手不足を例にあげて、遠隔操作による除雪現場の環境改善に期待を寄せつつも「業界的には待ったなしでも、シーズ側の情報が不足しているので、情報交換をしながらそれぞれの専門家が対応して解決していくことが必要」と課題を述べた。
坂村教授からの「NTTではいろいろなサービスや事業を展開しているが、遠隔で行うものには向き不向きがあるのではないか」という問いに、青野氏は「ネットワークには高速でも距離が短いものや、モバイル回線のように遠くまで届くものもあります。遠隔操作ロボットにはクラウド側でさまざまな処理が必要になりますが、クラウドがどこにあるかによって適したネットワークの種類が決まってくると思います」と回答。日本全国で提供するサービスであれば、集中管理するクラウドからネットワークが伸びていくので、IOWNや5G、6Gといった高速で幅広く展開できるネットワークが向いている。一方で、倉庫や工場などの閉じた環境で専用設備として利用するのであればWi-Fiでもよいし、農場などの広いところで使う場合はローカル5Gなどが適している。システムやコストも考慮しながら一長一短を見極めていくことが重要なのだろう。
池田氏から青野氏へ「医療の事例以外にも遠隔ロボットと低遅延で高速な通信を組み合わせた構想はあるのですか」という質問。青野氏は「大量のデータを処理するためにデータセンターは不可欠ですが、データセンターの電力消費の大きな要因は冷却です。たとえば極寒の北極や温度が一定の深海のような場所にデータセンターを設置した場合、スイッチを押したりネットワークを抜いて挿し直したりといった簡単な作業をしてくれるロボットがいれば省電力で冷却効率のいいデータセンターができるかもしれません」と構想を語った。
池田氏から松田氏へ「アクセシビリティのマップはNTTの特定子会社で障がいのある社員が協力している部分もありますが、企業側でお手伝いできることがあれば教えていただきたい」という質問に対し、松田氏は「歩行空間ネットワークデータを作るのに、現地に行って測量する作業がけっこう大変なので、取得したデータから自動的に抽出できるしくみがあれば、共有データの活用も広まるのではないか」と回答した。
青野氏から池田氏へは「遠隔操作のコミュニケーション型ロボットで接客をする場合、ロボットの向こう側に生身の人間がいることがわかっていても、ロボットを介することで違和感を感じることはないのでしょうか」という質問。池田氏は「企業のオフィスだけを考えれば今のスペックでも実用に足りています。皆さん最初にロボットを見たときにAIロボットだと思われるのですが、会話をすると急に人間に見えてくるんです。生の音声でコミュニケーションをとるのですぐに生身の人間がいることがわかります。オリィ研究所さんは顔をわざと能面のように作っていて、見る側の人の感情によって表情が見えるようにしているようです。このロボットを保育園や医療現場などに導入する場合には、温度や触ったときの温かみなど、ほかにも必要なものがあるのではないかと思います」と回答。青野氏は「実は看護師さんにヒアリングしたところ、遠隔ロボットではなく自動ロボットは温かみがないので患者さんは嫌がるだろう、とのことでした。ハートウォーミングに感じる要素はもっとあってもいいのかなと思いました」と受けた。
松田氏は、「役所の中にも遠隔でできることはたくさんあるのではないか」と、通信技術の進歩と新しい雇用形態に驚いたと明かした。そのうえで「自然災害が発生するとTEC-FORCE(テックフォース:国土交通省緊急災害対策派遣隊)が全国から現場に集結するのですが、作業のため現場から庁舎に移動するには時間がかかりますし、庁舎でもスペースがなくて廊下で作業していることもあります。災害現場ではドローンを飛ばして映像を撮ることが多いのですが、現場近くの道の駅とかにローカル5Gなどが設置されていれば、そういう場所で作業をして、災害本部に映像や資料を送ることができる。IOWNなどの技術の話をもっと情報共有できると行政としても進展できるものがあるかもしれません。情報共有とニーズ・シーズのマッチングができればと思います」と語った。
青野氏は「いろいろなところでAIによる自動化が進展しても、人間がやっているような高度な判断をコンピュータが行うのは難しい。障がいを持っていて体が動かなくても、最終的な判断をする場面に遠隔で入れる人がいれば、工事や災害復旧などの現場にも広がっていくのかもしれません。健常者、障がい者にかかわらず、能力が発揮できる余地はある」と感想を述べた。
2030年に向けてテクノロジーが進化していく中で、自分たちも高齢になったり障碍を負ったりすることを健康なうちから意識しておくことが重要だ。池田氏は「障がいのある方と働くうえで、障がいや病気が進行して昔はできていたことができなくなっていくことが現実にあるということを知っていただきたい。高齢者社会になっても、スキルを持っていれば社会に必要とされる。『働くことで初めて金曜日を楽しいと思えるようになった』と、生活にメリハリができることで働く喜びを得られる方もいる。当事者意識をもって想像力を広げてみてほしい」と訴えた。
坂村教授が「実世界では健常者でも、バーチャルの世界での操作がうまくできなければ、バーチャル世界では障碍者になってしまう。障碍者の定義が変わっていくかもしれない」と話題を振ると、青野氏はNTTの川添雄彦副社長から「現実の世界で年を取って体が動かなくなっても、バーチャルの世界ではピンピンしていて若いころのように体が動くような感覚が得られたら年を取ったと言えるのか」という話をされたことを明かし、「バーチャル世界に生きることでアンチエイジングの幅が広がるかもしれない。健常者・障がい者問わず、活躍できるフィールドや、いろいろな経験を重ねられる場、リアル・バーチャル、それこそリモート、いろいろなところでも無限に広がっている時代になっています」と述べると、坂村教授も「肢体不自由で力がなくても建築現場で働ける可能性が出てきた。年をとっても人生を楽しめる可能性が広がった」と応じた。
未来の可能性に話が広がる一方で、現実には障碍者が不自由を感じる場面は多く残っている。実際に目隠しをして歩く体験や車椅子に乗って移動する体験は研修会などで行われているが、今はそれをバーチャル空間でも行える時代になった。松田氏は池田氏の講演を受ける形で「コンプライアンス研修やパワハラ・セクハラ研修を受けるのと同じように、バーチャルの世界を通じて、自分がいかに不自由かを、『明日は我が身』と共感を持って体験してもらうことができるのではないか」と提案した。
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障碍者の生活や就労を支援していくためには現実問題としてさまざまな課題があるが、目覚ましい技術の進歩によって解決できることもあるだろう。そのためには、一つ一つの課題に真摯に向き合い、障碍の有無や性別、年齢、職業などにとらわれず、さまざまな人たちと連携してよりよい社会を作り上げていくことが必要不可欠である。
IOWNによって世界中がつながっているであろう2030年には、どのようなユニバーサル社会が実現されているのか。ここ数年でTEPSのリアルとオンラインのハイブリッド開催が定着したように、2030年にはVR環境でTEPSが開催されているのかもしれない。
注1)
バリアフリー・ナビプロジェクト
https://www.barrierfreenavi.go.jp/
注2)
国土交通省 歩行空間ネットワークデータの概要
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/soukou/seisakutokatsu_soukou_tk_000026.html
注3)
遠隔手術を支えるロボット操作・同一環境共有をIOWN APNで実証開始~100km以上離れた拠点間を同一手術室のようにする環境を実現~, 日本電信電話株式会社/株式会社メディカロイド, 2022年11月15日
https://group.ntt/jp/newsrelease/2022/11/15/221115a.html
注4)
分身ロボットカフェ DAWN ver.β
https://dawn2021.orylab.com/
注5)
連載漫画「IT紀行」その19「分身ロボットカフェで出会ったOriHimeは,普段使いのアバターだった」, 山本ゆうか, 情報処理 Vol.63 No.8, 一般社団法人情報処理学会, 2022
https://www.ipsj.or.jp/magazine/ittravelogmanga/19.html
編集部注)
登壇者の発表内容に基づき「障碍」「障害」「障がい」を使い分けています。