[Report]TRONイネーブルウェアシンポジウム34th

デジタル技術を活用した聴覚障碍者への情報保障とその課題

2021年12月4日(土) 14:00~17:00
INIADホール(東洋大学 赤羽台キャンパス)/オンライン 同時開催

  • 基調講演
    坂村 健 (INIAD(東洋大学情報連携学部)学部長/ TRONイネーブルウェア研究会会長)
  • 講演
    佐野 雅規(NHK放送技術研究所 スマートプロダクション研究部 上級研究員)
    長谷川 洋(NPO法人日本聴覚障害者コンピュータ協会 顧問/NPO法人全国文字通訳研究会 理事/ろう・難聴教育研究会 会長)

坂村健教授が会長を務める「TRONイネーブルウェア研究会」では、1987年以来、コンピュータ技術を使って障碍者を助けることをテーマとした 「TRONイネーブルウェアシンポジウム(TEPS)」を毎年開催し、障碍者とコンピュータ技術との関わりの議論や制度設計に対する提言などを行ってきた。

34回目の開催となった今回のTEPSでは聴覚障碍者への情報保障をテーマとした講演とパネルセッションが行われた。「情報保障」とは、身体的なハンディキャップによって情報が得られない人に対して、代替手段を使って情報を伝えることを保障することだ。講演では手話通訳放送の最新技術や選挙運動での情報保障の制限の問題を取り上げ、デジタル技術の普及により手軽に情報保障が可能になり、情報保障のための技術開発も進んでいる一方で、法律の制限によって、技術的には提供可能な情報保障が実施できない事例などが紹介された。後半のパネルセッションでは活発な議論が繰り広げられた。

基調講演

デジタル技術を活用した聴覚障碍者への情報保障とその課題

坂村 健

聴覚障碍者にとっての四つの情報的問題

坂村 健 教授

はじめに坂村教授は聴覚障碍者にとっての情報的な問題として、「放送の視聴」「他人とのリアルタイム対話」「環境からの情報通知」「手話インタフェース」の四つをあげた。

○問題1 放送の視聴
日本でもテレビの字幕放送が増えてはきたが、100%はカバーしていない。一方、アメリカには、ADA(American Disability Act)という法律があり、すべての番組に対して字幕を付けることが義務化されている。

アメリカではベトナム戦争により負傷した帰還兵が非常に多くおり、どうやって社会に再参加させるかが当時大きな社会問題になっていた。この問題の解決手段として、1964年の公民権法の差別の非合法規定に追加する形で1990年に制定されたのがADA法だ。このようにアメリカでは、障碍に対するあらゆる差別を禁止することが法律で保障されている。

テレビ放送に字幕を付けることは聴覚障碍者だけではなく、健常者にも大きな恩恵があることも坂村教授は強調した。ADA法を契機としてアメリカでは過去に放送されたテレビ番組の膨大な量の字幕を検索できるようになった。たとえば、過去の大統領の発言をキーワードにして、関連する当時の番組を探し出すこともできる。大量の字幕データが自動翻訳をはじめとしたAI技術向上のためのコーパスにもなっている。

「聴覚障碍者の情報保障はもちろん、日本のAI技術の開発と向上のためにも、すべての番組に字幕をつけることを放送局単体ではなく、国全体で推進すべき」と語った。

○問題2 他人とのリアルタイム対話
聴覚障碍者は、電話に音声通話の機能しかなかった頃は当然ながら電話を使うことができなかったが、スマートフォンの普及により、メール、チャット、SNSなどを通じて、文字によるリアルタイムのコミュニケーションができるようになった。

音声認識については、日本語はまだ改善の余地はあるが、英語は非常に高い精度で認識されるようになっている。打ち込んだ文字を音声合成して発音することも容易だ。これらの技術の進歩により、「今後は対面での話者とのリアルタイムコミュニケーションに聴覚障碍者がスマートフォンを駆使する時代が来る」と予測した。

○問題3 環境からの情報通知
環境からの情報通知は二つに分類できる。一つ目は救急車の接近、警報音が鳴って避難を促すこと、玄関ドアのベルなど、環境内での注意すべき音だ。もう一つは、自分のいる空間の10m以内などの狭い範囲での音声によるアナウンスだ。

注意すべき音の認識分野では、AIと結びつくことで警報音、サイレン、クラクションなどを認識するサウンド認識機能がスマートフォンに標準装備される時代になってきた。特にサイレンのようなものは、音を認識するのではなく、デジタル情報として「サイレンを鳴らしている」という情報さえ出せば、聴覚障碍者のスマートフォンに正確な情報を通知することができる。ヘッドホンで音楽を聴いていて周りの音に気づきづらい状況にある健常者にも有効な機能だ。

技術的には容易に実現可能であるにもかかわらず、法的な問題によりこれらのサービスが未だに実現していないことを坂村教授は歯がゆく思っている。その一方で、スマートフォンが普及し、サービスを利用するための環境自体は整っているので、今後の進展に期待したいとした。

後に続く長谷川洋氏の講演で詳しく述べられるが、制度上の問題の別のケースとして、選挙違反となるために、選挙運動の街頭演説の内容や要約をスクリーンに表示することができず、聴覚障碍者の方たちが困っていることが紹介された。さらに、音声アナウンスに関しては、音声と同時に文字情報も同時に発信するような標準プラットフォームを作り、効率化を図ることの重要性も強調された。

○問題4 手話インタフェース
健常者が使う「音言語」と聴覚障碍者が使う「手話言語」は、まったく別の言語である。健常児は、保護者が公園の鳩を前に発する「ハト」という発声から鳩の音ベースの抽象表現を学習する。その後文字を覚えはじめると、それに「はと」という文字表記が結び付けられる。一方、生まれつき聞こえない幼児の場合、親が形作る手話パターンを鳩の抽象表現として学習する。つまり、生まれつきの聴覚障碍の方にとって文字表記は、日本人が英語の文章を読むようなものになる。つまり「字幕があれば手話は不要」というのも大きな誤解であることがわかる。ニューラルネット型AIの発展により、将来的にはAIによる手話の自動翻訳が実用化されるとの見解が坂村教授から示された。

メタバースの実用化により期待されること

コンピュータにより作られる仮想空間──「メタバース」というキーワードを最近よく見聞きするようになった。メタバースは次世代の情報プラットフォームとして注目されているが、コンピュータの処理能力が急速にパワーアップしていることで実用の日も近いと考えられている。

メタバースが実用化されれば、眼鏡型のARデバイスを装着することで、コンピュータからの情報を実際の空間に表示させることができるようになる。スマホを操作しながら何かをするのではなく、眼鏡をかけていることで、空間そのものに情報が出てくるため、手話の自動翻訳等とあわせて、聴覚障碍者の情報取得をめぐる状況も改善されるのではないかとの期待が述べられた。

講演

手話CGの現状と今後の展開

佐野 雅規
NHK放送技術研究所 スマートプロダクション研究部 上級研究員

手話に関する前提知識

佐野 雅規 氏

手話CGの研究・開発を10年以上にわたり行ってきた佐野雅規氏からは、手話についての前提知識が紹介された。「字幕があれば手話は不要」というのが誤解であることは坂村教授から説明があったとおりだが、実際に佐野氏の勤める研究所を訪れる見学者のうち約8割の人が同じ誤解をしていたとのこと。また、国ごとに手話があり、世界共通ではないことも一般にはあまり知られていないという。

さらに、手話には助詞がなく、手の動き以外にも表情や体の傾きなどを総合して表現している。このことが手話CGの開発において重要な要素になったとのことだ。

手話通訳者の不足と手話CGの開発

NHKでは、2020年度は総合テレビで1週間あたり43分、Eテレで4時間26分の放送に手話をつけた。総務省では2027年度までにNHKも民放も1週間に15分以上の手話を付けるよう目標が設定されている。

しかし、手話通訳者の絶対数は多くなく、たとえば夜中に地震が発生した際に手話でも同時に情報を伝える体制は難しい。そこでコンピュータを使ったキャラクターに手話をやらせて、手話通訳者が放送局に到着するまでの間、第一報だけでもすぐにCGで伝えられるようにしようと取り組んでいる。

○手話CG制作に必要な技術と課題
Google翻訳をはじめとしたAI翻訳サービスは、非常に精度が高くなっている。しかし、手話翻訳は他の言語のように簡単にはいかず、多くのデータベース、コーパスを用意する必要がある。具体的には、対訳コーパス、モーション辞書、翻訳システム、CG生成システムのそれぞれを10年間、日々作成し続けている。また、これらに加えて、数年前からは手話映像の認識システム構築にも取り組んでいるという

○手話CGサービスはいつ実現するのか
翻訳もCG生成もまだまだ難しいとなると、手話CGのサービスを利用できるのは当分先になると思うかもしれない。しかし、限られた分野での実現として二つの例が紹介された。

一つは気象情報だ。NHKで用意した評価サイト(注1)で全国の142地点の天気予報を手話CGで確認できる。もう一つがスポーツ放送。どちらの例も事前にデータをそろえておくことができ、定型文を使えることがポイントになる。

そのほかの最近の取り組みとして、手話CGのキャラクターをよりリアルにすることも紹介された。現在は、顔のパーツがデフォルメされたアニメ調のキャラクターだが、より人間に近い実写のようなキャラクターにして、表情やわずかな口の周りの動き、眉の動きなどを表現するように努めているそうだ。

柔軟な姿勢で研究開発を続行

手話も言語の一つであり、今後も変化していく。それと同時に人工内耳を利用する聴覚障碍者の増加やスマートフォンの普及など環境も変化している。佐野氏は「求められているものを実現するために、時代の変化にも柔軟に対応し、今後も研究を続ける」と講演を締めくくった。

聴覚障碍者と選挙

長谷川 洋
NPO法人日本聴覚障害者コンピュータ協会 顧問/NPO法人全国文字通訳研究会 理事/ろう・難聴教育研究会 会長

聴覚障碍者への選挙に関する情報保障

長谷川 洋 氏

参政権は基本的人権の一つとして保障されており、選挙の投票には十分な情報を得られることが重要なのは言うまでもない。しかしながら、選挙運動の大半が音声中心のため、聴覚障碍者への情報保障が行われていない。長谷川氏からは、法律の制限により情報保障が行われない実際のエピソードがいくつか紹介された。

○政見放送
政見放送には、「スタジオ録画方式」と「持ち込みビデオ方式」がある。「持ち込みビデオ方式」では、自由に手話も字幕も付けられるが、「スタジオ録画方式」の場合、字幕を付けることができない。NHK東京本部では字幕のための設備があるが、その他の地域では必要な設備がないというのが理由だ。最低のところに合わせることにより平等を確保しているというのだが、その結果、聴覚障碍者の権利が制限されてしまっている。先に登壇した2名のパネリストも指摘しているとおり、字幕も手話もどちらも必要であり、一方があればよいというものではない。問題の解決のためには、党や候補者が聴覚障碍者への理解を深めるのはもちろん、政見放送に手話通訳と字幕を付けることを国が義務化することが求められる。

○街頭演説
街頭演説の場合、手話通訳は認められているが、字幕は認められていない。これは公職選挙法で禁止されている文書図画の掲示に相当するからとのこと。掲示できるものは選挙事務所ならポスター、立て札、看板のみと決められており、それ以外のものは掲示できないことになっている。誰が考えてもおかしいと思うはずなのだが、公職選挙法はなかなか改正されないのが現状だ。

○公開討論会
公開討論会についても、通訳の派遣規定に政治または政党活動に関することには派遣しないということになっているため、手話通訳や文字通訳を派遣してもらえず、情報保障がないという地域が大半とのことだ。

聴覚障碍者の参政権が奪われている

障害者手帳を持つ聴覚障碍者は日本に45万人おり(注2)、手話を第一言語とするろう者が9万人で全体の約20%、字幕を利用する人が36万人で約80%となる。いくつかの例で示したが、憲法15条で、すべての国民に参政権を与え、憲法13条で、法の下での平等を唱えながら、聴覚障碍者の参政権は不平等なまま放置されている。全日本ろうあ連盟としては、一刻も早く状況を改善するため、情報保障を義務化すべきと考えている。

また、同じように情報保障が必要な対象者として、盲ろうの方々(視覚と聴覚の両方に障碍のある方)のことも触れられた。最初に失明して、あとで聴力を失った場合は点字が読めるが、最初に聴力を失い、そのあと失明した場合は点字を理解することは難しい。盲ろうの方々の情報保障をどうすべきかについては今後の課題であることが述べられた。

パネルセッション

後半は講演を終えた3名のパネリストにより、ネットと会場から寄せられた質問をもとにパネルセッションが行われた。寄せられた質問と回答やディスカッションの一部を紹介する。

「国レベルで障碍者支援を行うプラットフォームがあるか」との質問に対しては、「現時点では残念ながら無い」との答え。やる気のある自治体、団体、企業などが独自に障碍者支援の活動を行っているが、国レベルで動くことが重要との意見が各パネリストから述べられた。

佐野氏への質問として、「Zoomなどオンライン会議の使用中に、リアルタイムの音声認識エンジンを使用して、一つの画面の中に手話CGと字幕を同時に表示できないか」との質問があった。現在では定型文のみをサポートしているため、現時点の技術では難しいとのこと。

自動手話通訳の実現のため、機材の相互利用やコーパス作成のデータ量集積の観点からも共通化は必須だとの意見に対してはパネリスト全員が同意した。坂村教授からは「ICT技術を使って新しいことをはじめる場合には、効率良く進めるための標準化が重要」とのコメントがあった。さらには、NHK放送技術研究所のようにイニシアチブをとって研究を進めている機関が、オープンデータなどを公開し、標準化も先導するようにしてほしいとの要望もあった。

公職選挙法によって聴覚障碍者が不利益を被る状態が続いていることに対して、多くの人が何十年も前から問題として指摘してきたにもかかわらず、なかなか改善されないことについて、坂村教授は「与野党にかかわらず国会議員の人たちが真剣に取り組んでいただきたい」と訴えた。また、長谷川氏の講演を聴いた佐野氏は、政見放送がラジオ放送だった1986年にろう者である候補者の政権放送で4分もの間、無音のままだったという逸話にたいへん驚いたといい、「問題解決のためには技術だけではなく、法律の部分も大事なので、両輪で回していく必要があることを改めて痛感した」と語った。

NHKの手話CGに対して、長谷川氏は「CGが非常にリアルになり、自然な表情が出ていて、進歩がすばらしい」と評価した。また長谷川氏は、東京パラリンピックが開かれた際、NHKの「あさナビ」という番組では「ぴったり字幕」というものが提供されたことに言及。これは生放送でも、30秒遅れて放送をはじめることで、この30秒の間にアナウンサーが話す内容を字幕にするというものだ。番組の進行にあわせて字幕が遅れることなく表示されるもので、このような試みは今後の番組でもぜひ提供してほしいとの要望が長谷川氏から述べられた。

現時点での手話CGの情報精度について、佐野氏によると「手話CGを放送に積極的に利用したいが、少しでも間違った情報があると抗議が入ってしまうため慎重にならざるを得ない」とのこと。坂村教授は「放送とは異なり、ネットの世界では、あくまでベストエフォートで、完璧ではなくてもできる限り正しい情報を伝えるという姿勢が許される」と指摘。長谷川氏も「現在の字幕にも仮名漢字変換のミスなどはあるが、聴覚障碍者にとって字幕はありがたい情報なので、ミスに神経質になりすぎず今後も続けてほしい」と、精度を追求するよりもサービスを受けられなくなる不利益に懸念を示した。

手話CGのビジュアルに関して、「通訳者は手話がよく見えるように黒っぽい服を着て、イヤリングなどをしないのが通例。スポーツの結果を伝える手話CGのキャラクターがイヤリングをしていた理由を知りたい」との質問があった。これに対して佐野氏から「技術サイドではなく、演出側の考えとして、手話を使う人も一人の人間としておしゃれをして、普通にコミュニケーションをとるということを表現したかった」という裏話が語られた。

* * *

2021年のTEPSを締めくくるにあたり、長谷川氏からは「障碍者を支える技術の進歩は目を見張るものがある。しかし、どれだけ技術や機械が進歩したとしても、周りの人たちが障碍者を見かけたときにサポートしてあげたいと思ってくれるだけで心強い」との話があった。佐野氏は「今回の発表では聴覚障碍者を助ける取り組みを紹介したが、視覚障碍者の方を助けるために解説放送の自動化なども試みており、今後も関係各所と連携して、障碍者支援技術の精度を高めていく」と展望を語った。

最後に、坂村教授が来年以降もTEPSでコンピュータによる障碍者支援に関する議論と提言を行っていくことを約束して、シンポジウムは幕を閉じた。


注1)
NHK 気象情報手話CG:https://www.nhk.or.jp/strl/sl-weather/

注2)
厚生労働省大臣官房統計情報部編「平成27年度福祉行政報告例」