[Report]TRONイネーブルウェアシンポジウム28th

いま企業ができること

2015年12月12日(土)13:30~16:30
東京ミッドタウン カンファレンス [Room7]

  • 基調講演/モデレータ
    坂村 健(TRONイネーブルウェア研究会会長/東京大学大学院情報学環教授/YRPユビキタス・ネットワーキング研究所所長)
  • パネリスト
    大島 友子(日本マイクロソフト株式会社 技術統括室 プリンシパルアドバイザー)
    高村 明良(全国高等学校長協会 入試点訳事業部 専務理事)

基調講演

いま企業ができること

坂村 健

坂村 健 教授

今年のTEPSのテーマは「いま企業ができること」である。坂村教授は、まず、企業によるイネーブルウェアに関連した取り組みに関する従来のモデルを紹介した。

コンピュータとインターネットに支えられるICT(情報通信技術)は、言うまでもなく非常に役立つ技術である。従来型の企業の取り組みは、このような有用な技術が、健常者は利用できても障碍者には利用できないという問題を解決することが主な目的であった。たとえばディスプレイは視覚障碍では見ることができない、音声出力は聴覚障碍では聞くことができない、キーボードは肢体不自由の方は利用できないといったヒューマンインタフェースに関する問題、すなわち人間とコンピュータの対話方法の問題を扱ってきた。

TRONプロジェクトでは、1993年に『トロン電脳生活ヒューマンインタフェース標準ハンドブック』注1)を刊行し、パーソナルコンピュータ(PC)のGUIの部品を標準化し、それらの組み合わせでさまざまなインタフェースを実現するというアプローチをとった。GUIの部品を標準化すれば、たとえば本来キーボード入力を想定しているインタフェースを、キーボードが利用できないユーザには他の方法で代替して同じ機能を実現するといったことも可能になる。

米国におけるイネーブルウェアに関連した法律としては、1986年に制定されたリハビリテーション法508条、2009年に制定されたADA法(Americans with Disabilities Act)がある。特にADA法が発効してからは、PCを企業で利用する際には、障碍者には利用できない操作というものが制限されるようになった。このときWindowsはOSレベルでアクセシビリティ対応がなされたUIツールボックスを提供し、これを利用すればアプリケーションが自動的にアクセシビリティ対応されるというアプローチをとった。坂村教授は、これは当時の企業における最善の取り組みだったと評した。現在のモバイル用OSに対しても、基本的には同じモデルが適用されている。このモデルの限界は、OSが用意しているものが十分でなかった場合には代替手段がないという点、さらに本質的にはOSが想定している障碍像から離れてしまうとうまく対応できないという点にある。

一方で、企業によるイネーブルウェアに関連した取り組みは、これからIoT(Internet of Things)時代を迎えるにあたり新たな局面を迎えつつある。IoTでは、あらゆるものの中にコンピュータが入り、それらがすべてネットワークに接続される。たとえば、スマートフォンなどのインターネット接続機器があれば、壁に照明のスイッチは必要なく、インターネット経由で照明のオンオフができる。TRONプロジェクトでは、このようなモデルを、アグリゲートコンピューティングと呼んでいる。

坂村教授は「いま企業ができること」として、2つの課題をあげた。

1つ目は、オープンAPIの積極的な推進である。過去のイネーブルウェアでは、代替インタフェースを提供するためにGUIなどの部品の標準化を行ったが、IoT時代のイネーブルウェアでは、インターネットにつながっている部品の制御方法をオープンにすることが重要になる。制御方法さえオープンにされていれば、照明のオンオフをスマートフォンのタッチパネルで制御することもできるし、音声で制御することもできる。テレビやビデオの予約録画を一つとっても、現在でもインターネットにつながる機種はたくさんあるが、多くは専用アプリで自社製品を制御できるだけである。もし、機能を制御するAPIが公開されれば、おそらくユーザにとってより利便性の向上したアプリケーションが開発できるようになるはずである。

TRONプロジェクトとしてもさまざまな企業に働きかけている。住宅メーカーのLIXILとは住宅部品のIoT化のプロジェクトを進めており、たとえば、センサーで室内や浴室の温度をモニタリングできれば、高齢者による浴室での家庭内事故の減少に貢献できる。

「いま企業ができること」の2つ目は、企業の建物内の空間のオープン化である。TRONプロジェクトでは、ICタグや無線マーカーを街につけることで、GPSの届かない地下街や屋内でもだれでも自由に移動できることを目指した取り組みを長年行っている。最近の動向として、太陽電池で駆動する最新式のucode BLEマーカーが紹介された。しかし、公道以外の場所へのマーカーの設置は、企業による協力が不可欠であり、普及への課題となっている。特に、世界一発達している日本の交通網は、世界一複雑で世界一たくさんの事業者が関わって管理されている。坂村教授が会長を務める公共交通オープンデータ協議会では、2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでに、プライベートな空間を含め自分が今どこにいるかを知ることができるインフラの整備を目指している。

講演1

障碍のある人の就労とテクノロジー

大島 友子

大島 友子 氏

日本マイクロソフトの大島氏からは、マイクロソフトが取り組んでいる4つの課題が紹介された。

○アクセシビリティ
マイクロソフトでは、1980年代からアクセシビリティに取り組んでいる。Windows OSの初期バージョンが身体障碍者には使いにくい、という声を受け改善を図ったことがきっかけである。また、現在のCEOサティア・ナディラ氏が就任してからのマイクロソフトのミッションは、「地球上のすべての個人とすべての組織がより多くのことを達成できるようにする」であり、これはアクセシビリティに通じるものである。具体的な取り組みとして、Kinectを利用した重度重複障碍者の支援システムや、Windows 10に標準搭載されたWindows Helloという顔認識によるログイン機能などがある。Windows Helloは、必ずしも障碍者向けに開発された機能ではないが、パスワード入力が難しい方にも便利に使ってもらえる機能である。

○ワークスタイル変革
日本における労働問題として、高齢化による生産年齢人口の減少と、先進国の中で非常に低い労働生産性がある。このような問題を受け日本政府はテレワークを推進しているが、マイクロソフトでは特にテレワークが進んでいる。社内では、Skype for Businessなどを活用し、またパワーポイントやエクセルを共有しながらオンライン会議を行うことが当たり前になっており、テクノロジーがワークスタイル変革の原動力になっている。これらは、基本的には一般社員向けのソリューションだが、障碍者にとっても有意義なソリューションである。

○ダイバーシティ
マイクロソフト社内では、個人の気持ちの問題ではなく、個人と会社の成長のために、多様な人と働くということに取り組んでいる。たとえば、ジェンダー、ケアリング、ディファレントカルチャー、LGBTといった観点のグループでワークストリームという活動を行っている。

○移動支援プロジェクト
日本マイクロソフトでは、品川本社内において視覚障碍者の移動支援プロジェクトを進めている。このプロジェクトでは、品川本社の来訪者用フロアである30階と31階にucode BLEマーカーを設置し、スマートフォンを利用して、自分のいる場所の周りに何があるのかを紹介したり、また部屋までのナビゲーションを行ったりするシステムの構築を進めている。このシステムは、2016年春にオープン予定である。

大島氏は、最後に、日本の経済に貢献するためにも、障碍のある方がテクノロジーを活用して外に出て働くことを推進し、企業の立場として支援していきたい、と締めくくった。

講演2

ビル内における情報取得型の自律移動支援システムのあり方

高村 明良

高村 明良 氏

自身も視覚障碍をもつ高村氏からは、障碍者の立場から移動支援の背景と今後の課題が語られた。

視覚障碍者の最初の移動支援は白杖のみであったが、その後さまざまな社会的な支援インフラが整備された。これらは大きく分けて誘導型インフラと探索型インフラの2つに分類できる。誘導型インフラには、日本発のインフラである誘導ブロック、建物の入口や駅の改札口およびホームなどで利用されているサウンドを使ったインフラが含まれる。探索型インフラには、点字ラベルや触地図、音声案内板などがある。そのほかにも、実用化しなかったものとして、メガネ型の情報取得機器や、専用の装置を持っていると音声が出る信号機などが開発された。

IT機器を活用した移動支援システムは、5年ほど前から世に出始めてきた。GPSを利用したスマートフォンによるナビゲーションシステムは、近年では精度も向上し、日常的に使えるようになっている。TRONプロジェクトで長く取り組まれてきたICタグなどを使ったシステムについても、視覚障碍者だけでなく外国人やさまざまな利用者を想定した実証実験のノウハウが蓄積され、これからのシステムに応用できる段階まで進んでいる。また、外出前にはコンピュータで行き先を調べておくことができるが、視覚障碍者にとって乗り換えや時刻表の情報も重要であり、使う人が増えてきている。マイクロソフトが取り組んでいるビル内での案内についても、実用化が期待される。

視覚障碍者が移動する際には記憶力が必要であるが、今後IT化によりリアルタイムな情報が次々に得られるようになると、視覚障碍者がこれらの移動支援を活用していくためには、頭の中に空間的イメージを作る能力がこれまで以上に必要になるであろう。

また、これからは場所や状況に応じた移動支援システムを考えていく必要がある。たとえば、危険な場所や騒音がある場所では、音声案内よりも誘導ブロックのような物理的なインフラが有効である。また、駅構内やビル内では、状況に合わせて複数のシステムを組み合わせることで、より有効な移動支援システムになるであろう。

最後に高村氏は、APIをオープン化することによって多様化の社会ができ上がり、多様化の幅を広げることでより良い支援技術が生まれていくと期待をこめた。そして、企業によって、視覚障碍者だけでなく多くの人たちのための移動支援システムが構築されると、より良い世界になるのではないかと締めくくった。

パネルディスカッション

パネルディスカッションでは、講演で出たいくつかの話題に関して、坂村教授、大島氏、高村氏の間での意見交換が行われた。まずテレワークに関する議論があった。テレワークが社会に普及すれば、障碍者にとっても在宅でできる仕事が増えるとは期待できるが、一方、自分の意思で移動できることが重要であることは変わらないだろうといった意見が述べられた。続いて、屋内測位インフラの今後の可能性についても議論がなされ、本当にこの技術が発展・普及すれば、今ある点字ブロックがなくても、別の形で同じことが実現できるかもしれないといった未来が語られた。

また、障碍者支援に関してアメリカは日本と比べて先進的であり、前半の講演でも紹介されたADAがマイクロソフトにおいても大きな役割を果たしているといったことも語られた。一方で、日本は高齢化が進んでいるという特徴があり、高齢者に対する対応はこれからむしろ日本が利点、強みにできる可能性があるといったことも議論された。

その後、会場からの多数の質問や意見を題材に議論が進められた。一例として、マイクロソフト社内での障碍者の就労事例に関して質問があり、それに対して大島氏は全盲の視覚障碍をもつ社員を具体例として紹介した。ここでは関連して、高村氏から視覚障碍者にとってのプログラミング学習の事情も紹介された。

また視覚障碍や聴覚障碍だけでなく、認知機能の支援に関しても質問があった。これに対しては、TRONイネーブルウェア研究会の幹事の立松英子氏から意見が出され、知的障碍や認知障碍がある方をICTで直接的に支援することには難しい課題も多いが、そのような方をサポートする方をサポートする技術であれば比較的簡単に実現可能なのではないか、たとえば周りの方、特に家族をサポートすることにICTが活かせるのではないかといった見解が示された。その他にも、テレワークに関連したテレビ会議での聴覚障碍者の支援など、さまざまなトピックに関して活発な議論が行われた。

(報告者:別所 正博)